Y子へ 先日の国立のお花見は楽しかったね。 丁度満開のときに行くことができたのは本当にラッキーでした。
ポッポ公園の前の喫茶店であなたから聞いた話に少なからず衝撃を受けた私は、家に帰ってから“盲ろう者”についていろいろ調べてみることにしました。 その中で、「福島智」という名前を何度も目にすることになります。


それからしばらくして、NHKの“SWHITCH INTERVIEW”という番組で、福島さんと柳澤桂子さんの対談を見ることができ、福島さんのことをもっと知る機会を得ることになりました。
この番組のことは、今まで何度かあなたに話したことがありますね。 活躍する世界の全く違う人が二人、交互にインタビューしたり、されたりする番組です。


この回は、盲ろう者で大学の教授である福島智さんと、生命科学者で難病のために48年間ほとんどベッドの上で過ごしてきた柳澤桂子さんとのSWHITCH INTERVIEWです。

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指点字でコミュニケーションできるまで

Y子も知っているかもしれないけれど、福島さんは9歳で視力を失い、18歳で聴力を失っています。 福島さんが大学で講義をするときや、人と話すときには必ずそばに指点字をする通訳者がついていて、まるで同時通訳のように寸時に会話が成立するのですね。これには本当にビックリしました。


しかも、この「指点字」は福島さんのお母様が発案されたとのこと。 それまでは、大学でも点字のタイプライターによって講義内容を把握していたようです。 でも、点字タイプライターは必ず器具が必要ですよね。 家庭の中で、普通の日常会話に使うには少し重い存在だったかもしれません。


番組の中で、柳澤桂子さんが初めて指点字を体験して、どの指を触られているのかわからなかったと言われるほど、目にも止まらぬ速さで動かす指は、福島さんに言わせると“スポーツ感覚”ということでした。


この指点字によって、その後友人たちとのコミュニケーションも以前よりとれるようになったようです。 でも、福島さんは、友達と話せるのは楽しかったはずなのに、しばらくすると孤独を感じるようになったと言います。


言葉だけが断続的にあっても、人間はコミュニケーションができない、と福島さんは言うのです。 「壺の中に入ったような感じ」という表現をしていました。 ときどき、ふたを開けて誰かが声をかけてくる。 しばらくするとその人はどこかへ行って、ふたを閉めてしまう。


指点字で話しても、周囲の様子はほとんど伝わってこない。 話し相手が離れてひとりになると、全く分からなくなると言うのです。


福島さんは、「壺のフタを開けるんじゃなくて、自分を壺から出してほしい」と。 壺から出て、みんなと同じ空間にいたい、ということが本当の望みだということなんですね。


ところが、ある時、ある人が他の人の発言を劇の台本のように伝えてくれたことが、起死回生のきっかけになったということなのです。


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指点字で臨場感を得ることができた!

それまでは、指点字でコミュニケーションを取ろうとすると、1対1で話す、という感じでした。 だから、その人が去るとまた孤独の闇の中にとどまることになる。


ところが、対話でないときも、部屋に人がいてその人たちが話していることを臨場感を持たせて伝えようとする人が出て来てくれたことで、その場の雰囲気がわかるようになったのです。


それが彼にとって一番大きな“解放”になったと言うのです。


一番しんどいのは、聴こえるような聴こえないような中途半端な状況が続いたときだったとのこと。 今でも悪夢としてその時の夢を見ることがあるそうです。

「完全に聞こえなくなるまでの3か月間、聴こえるような聴こえないような、相手が何か言って一部聴こえるんだけど、やっぱり聴こえないみたいな、その時の夢を今でも見るくらいなので、よっぽどトラウマになっているんだと思います」


「見えている目が見えないようになって、聴こえていた耳が聴こえないようになって、これは一体なんなのか、と言う風に考えて、最初は、神とも運命ともつかぬものに、『ひどいやないか』と心の中でぼやいていたわけだけど、そもそも生きていること自体が不思議なこと。奇跡的なことだから、これは多分、神がいるならば、僕に何かさせようということではないか。


つまり、見えなくて、聴こえない人が僕以外にもおる。そういう人たちのために何か役に立てと。 そういうメッセージなのではないか」

そう、福島さんは考えたのですね。

幼い頃から大学に行くと決めていた

指点字でコミュニケーションがとれるようになって突破口ができた頃、福島さんは幼いころから決めていた大学入試を果たします。 盲ろう者としては初めてのことでした。


専攻は教育学。 大学院で学んだあと、金沢大学を経て、2001年から東京大学助教授、2008年には教授に就任します。

「バリアフリーの問題がどうしても障害者、高齢者の問題に限定されてしまう。バリアフリーを取り巻くバリアを取り除くというのが大きな目標です」


そう語っていた福島さんは、自分の人生を研究対象にして書いた博士論文、「福島智における視覚・聴覚の喪失と『指点字』を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」で、人と人のコミュニケーションにおいて、言葉のほか、表情やニュアンス、周りの様子と言った感覚的情報が果たす役割の重要さを考察しています。 この論文は、世界でも類を見ない当事者による貴重な研究と評価されました。


福島さんはさらに、

「これまで、障害のことを研究している人はほとんどが非障害者。 これは、黒人の問題を白人が研究するようなもので、障害者の問題も障害者が研究するのが重要。


私は私の体験を通して、たとえばコミュニケーションと言うものについて考えたり、あるいは、障害などの苦悩の体験が人に及ぼす影響とはなんなのか、ということを、力学的な問題や社会でどう支援するかというのとは違うベクトルの問題があるだろうと、自分の体験、さらにはほかの障害者の体験を通して考えていく。 学術的な静観をしていきたいというのが私の希望ですが、どこまで行けるかどうかわからない」

と続けます。


今回福島さんが希望した対談相手は、柳澤桂子さんです。

障害者は幸せにはなれないか?!


柳澤桂子さんは現在79歳の生命科学者。 著書は50冊以上にも及びます。


30歳の頃に突然難病に襲われ、それ以降ほとんどをベッドの中で生活している方です。その柳澤さんは、障害者に対する社会の目は厳しいということを言っています。


障害者として生まれた人は、自分は幸せであったと思えることは少ないだろうと。障害者もみんな幸せであるように、特に子供のときは幸せであるように過ごしてほしいと言います。


それを阻害しているものは何だと思いますか?という質問に対して、福島さんは、


「いろいろあると思う。ひとつには、社会全体が持っている価値観・意識・風潮。 昨年の相模原の事件で、重度の障害者は生きていても意味がない。価値がない。障害者は生きていても金の無駄になるだけで世の中のためにならない。そういう価値観がしみ込んでいる。


そういう発言に対して、ネット上では賛同するような書き込みがあったり、あからさまな言葉では言わないにしても、本音はそう思っている人がかなりいるかもしれない。


これは、もっと考えていくと多分、障害がない人とも地続きになっている。 つまり、経済的な価値をどれくらい生み出すかで価値づけられていくという意識が広まっている。
どのくらい仕事ができるのか。 どのくらい稼げるのか。 あまり仕事ができなかったらクビになる。
だから、障害がない人たちも経済的価値を生み出さない。 そういう不安の裏返しが、たとえば今回の相模原の事件に対して賛同するような発想につながるのではないか」


さらに福島さんは続けます。


では、どうすればいいのか。 どんな人間にも命の価値があり、皆命の重さがあって、生きる意味があるんだということが根底にないといけない。


だから、この命を大事にするということを子供の時期から家や学校で教えていく。そして、おとなに対しても、とにかく生きるということがどれだけ大切なことか。 私は盲ろう者になっても自殺しようとは思わなかった。


それは、ひとつには小さい頃、同い年の4歳の子供が事故で亡くなった経験があるから。 たった4歳で電車にはねられて死んでしまった。 それはすごく無念だったと思う。 生きたかったのに生きられなかった人。 そういう人たちが世の中にたくさんいる。


そうであれば、たとえ目が見えなかったり、耳が聴こえなかったりという、もちろん不便なことはあるけれど、取りあえず命は与えられているのだから、与えられているのであれば、この命を自分で捨てるというのは、生きたくても生きられなかった人への冒涜だと思った。


そう考えれば、どんな命だとしても、その人が生きるということはものすごく大きな意味があって、社会全体が最高度の努力を注いで、みんなが生きていることを守る。 それが一番だと思います


介護の仕事をしていると、高齢者の方から「早くお迎えが来てくれないかしら」という発言を聞くことがあります。 自分は年をとって何もできなくなったこと、人に必要とされなくなったことを嘆く方が多いです。 でも、人の価値って、その人が何かをするから価値がある、というその事だけ?って思います。


人の価値が経済的なものを生み出すかどうかで決まるなんて間違っている。 でも、もし自分が事故で動けなくなったり、人の手を借りずに生活することができなくなったら、生きていく自信を失うかもしれない、と考えたりはします。


これは、「命」というものをもっと広く、大きくとらえる必要がありますね。

対談相手の柳澤桂子さんのこと

Y子は知っているかしら?生物学者の柳澤桂子さんという方のことを。 すで著書が50冊以上あるということなのだけれど、生命科学者ということが私の読む本の分野から少し外れていたようで、私は今回初めて彼女のことを知りました。


柳澤さんは、1938年東京生まれの方で、父親が植物学者だということです。 7歳のときにクリスマスプレゼントととして父親からもらったバーバンクと言う人の本を読んで、植物学者になると決めたとのこと。


大学で生物学を修め、アメリカのコロンビア大学に留学。 バクテリアを使った遺伝学の研究を行っていたそうです。 帰国後は民間の研究所に就職して、22歳で結婚。二人の子供を授かります。 柳澤さんはご自分が妊娠をされてから、生命の初期発生に関心が高まったということです。
柳澤さんは、31歳のときに突然病に襲われます。 入退院を繰り返して、45歳のとき、長期の病気休暇を取っていた研究所から解雇通告されます。 全身を襲う痛み。 世界から切り離された孤独感。IVH(中心静脈栄養法)で中心静脈から血液に栄養を投与する点滴で命をつなぐことになります。


柳澤さんんは、一番苦しい状態のときは、その点滴を外すことまで願ったとのこと。 そんな苦しい状況の中で、50冊以上も執筆されたということは、身を削るような思いだったのではないかと推測します。だから柳澤さんの書いたものは人の心を打つのでしょう。


柳澤さんは、病気と孤独の中で次第に人間を超えた大いなる自然を感じ始めたと言います。 ご自分は信仰を持たないけれど、人の祈る心を科学者の目で分析します。


「きれいな夕焼けを見たとき、手が自然と祈りの形になることがあります。 私は宗教を持っていないが、祈ります」


彼女がそう言うと、福島さんが、 「私は星も月も見えないが、太陽は感じることができる」 と答えます。


柳澤さんが続けます。


「人間の脳の中には、絶対に祈りの回路があると思う。
世界中の人が困ったときなどに祈る。それが人間のDNAに入っていると思う。
自然に対する畏敬の念。 それを、何に対しての祈りかわからないが、私は“宇宙”と言っている。 神さまではない。 科学が全部わかっているわけでないから。
私は分からないものを否定してはいけないと思う。 神はいないと私は思っているけれど、もしかしたら神さまがいらっしゃるかもしれない。

今分かっていないからと言って、これはないと切り捨ててしまってはいけない。
祈りについても、そういう気持ちが人間の中にあるということは間違いないと思うので、これからの問題として大切に考えていかなくてはいけないと思う」

最後に

番組の最後に、福島さんが柳澤さんに、科学者が地球を含めた自然に対して畏敬の念を持っているか、と尋ねる場面があります。


柳澤さんは、すべての科学者が畏敬の念を持っているかは疑問、と答えます。 そうでない科学者がいることも確か。 でも、それは非常に危険なことだとも。


DNAを処理したり、デザイナーベイビーをつくったりするのは非常によくないこと。 経済的なことだけを考えるのではなく、介護・障害、そういう人たちを世話するときには、やはり人類に対して、特に子供に対して愛情を持っている人が研究したり、事務職のようなこともしてくれるのが一番いい。 そうでない人にそれを渡すのは怖いこと、と柳澤さんは言います。


「科学は人間に幸福を提供するはずだった。 知的な好奇心を満足すると同時に、実利的なう部分でも幸福を提供するはずだった。科学は一体どうなってしまうのか?」という福島さんの懸念に対しては、 「明るい傾向としては、倫理を逸脱した研究者に文句を言う人がいるということ。文句を言う科学者がまだいる、ということが望み」 と答えた柳澤さんの言葉が印象的でした。



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